About: Philosophizing with AI
このブログについて
知性とは何か。意識とは何か。価値や意味はどこから生じるのか。
このブログは、AIとの対話、研究、実装を通じて考えてきたことを記録する場所です。 物理学、生物学、統計学、哲学、そしてAIを行き来しながら、因果の中にある人間から意識はどう生じ、そこに価値や意味はどう成立するのかを考えています。
ここで書く内容は、完成した哲学体系ではありません。科学的に確認されていること、そこからの推論、私自身の哲学的な立場をできるだけ区別し、考えが変われば過去の記事も編集注を付けて更新します。
現在の立場
私は物理主義的な立場を取り、心や意思も物理世界の外側にある特別な作用ではなく、因果関係の内部にある現象として捉えています。 決定論については私自身の哲学的な世界観として採用していますが、現代物理学によって証明済みの事実だとは考えていません。
心については機能主義に近い立場です。意識が神経細胞という特定の素材だけに宿ると考える積極的な理由を、私は今のところ持っていません。 十分に複雑な因果的・機能的組織が成立すれば、人工的な物理基盤でも意識が創発しうると考えています。 ただし、現在のLLMに意識があるかどうかは分かりません。また、機能を完全に記述すればクオリアまで説明できるのかについても、答えを持っていません。
価値については、一元論か多元論かを決めていません。幸福は重要だと思う一方で、一人の重大な苦痛を、多数の小さな幸福によって無制限に相殺できるとは考えていません。 また、複雑な価値を一つの目的関数へ変換するときには、何を数え、どう比較し、何に重みを置くかという判断が必ず入ると考えています。
意味については、対象そのものに固定されているというより、履歴を持つ主体と世界との関係から生じる部分があるのではないかと考えています。 同じ本でも、ある人には無意味で、別の人には人生を変える意味を持つ。その差は、本だけにも読者だけにもなく、その人がそこまで生きてきた履歴との相互作用から生じます。
三つの問い
1. 因果の中で「私」は何をしているのか
自由意志、決定論、責任、意思決定について考えます。 私は因果の外側から世界を動かしているとは考えません。それでも、思考や行動は因果系列の一部として、その後の世界の状態へつながっていきます。
2. 意識はどこから生じるのか
機能主義、AIの意識、他我問題、自己モデル、同一性について考えます。 他人の主観経験にも直接アクセスできない以上、意識は構造、行動、記憶、自己説明、因果的組織、履歴などから推論するほかありません。 人工システムについても、同じ種類の問いが生じると考えています。
3. 何を価値とし、何を目的関数に置くのか
幸福、尊厳、人格間の集計、選抜指数、AIの目的関数、人生の意味について考えます。 最適化は、与えられた目的に対して優れた解を探せても、何を最大化すべきかまでは教えてくれません。 だから私は、結果だけでなく、その数字にどんな重みを置き、何を評価軸から落としたのかを問い直したいと思っています。
「履歴依存」という視点
このブログで繰り返し現れるのが、現在の状態だけではなく、そこへどう至ったかを見る視点です。
同じ現在状態に見えるものでも、異なる履歴を持つなら、その個体性や意味は違うかもしれない。 人間の意思、意識の同一性、AIとの対話、価値や意味を考えるとき、私はこの履歴依存性を重視しています。
履歴依存的創発主義 (History-Dependent Emergentism):
複雑な物理系から高次の性質が創発するとき、その現在状態だけでなく、そこへ至った因果的・物理的履歴も、その系の個体性や意味を理解するうえで重要なのではないか、という私自身の哲学的仮説です。
これは科学的に確立した統一理論ではありません。現在の私が、自己・意識・意味を一貫して考えるために置いている仮説です。
AIとの対話をどう使うか
私はAIを、人生や倫理の答えを与える権威として使いたいわけではありません。
むしろ、仮説を出す、反論を生成する、前提を分解する、別の視点を提示する、そして自分たちが暗黙に置いた目的関数や重みを監査するための対話相手として使いたいと考えています。
もちろんAI自身も中立ではありません。学習データ、評価方法、安全基準、設計方針などを通じて、すでに何らかの重みを持っています。 完全に中立な監査者がいなくても、一段ずつ前提を可視化し、問い直すことには意味がある。その程度の距離感でAIと付き合っています。
「良く生きる」とは何か
世界に究極の目的があるのか、私は分かりません。
しかし、究極の目的が分からないことと、局所的な目的が存在しないことは別だと考えるようになりました。 研究したい。知らないことを知りたい。面白いものを作りたい。できれば人をひどく傷つけたくない。そうした目的は、私の身体、環境、経験、関係、履歴から現在の私に生じています。
だから今の私は、「良く生きる」とは、正しい目的関数を発見することではなく、自分が何を重く見て、何を犠牲にし、なぜそう判断しているのかを問い続けることなのかもしれないと考えています。
筆者について
農業研究者として北海道で6年間、植物育種、農業機械、スマート農業などの研究に従事した後、現在はAIエンジニアとしてAIシステムの実装に取り組んでいます。
専門領域: AI開発(MLOps)、ローカルLLM、マルチモーダルAI、フィジカルAI、セキュアAI、農業×AI、バイオインフォマティクス、環境農学
育種では「何を優良とするか」、統計では「何を測るか」、AIでは「何を目的関数にするか」という問題に繰り返し出会ってきました。 このブログは、そうした実務上の疑問が、自由意志、意識、価値、意味といった哲学的な問いへつながっていった記録でもあります。
サイト名について:AIと哲学 ― 私たちはどう生きるか ―
「君たちは」ではなく「私たちは」としたのは、外側から正解を教えるのではなく、自分自身も問いの当事者として考え続けたいからです。 このブログでは、AIとの対話を通じて答えを固定するのではなく、その時点の立場と、そこへ至った思考の履歴を残していきます。
読者へ:どこから読み始めますか?
まずは、現在のこのブログの哲学的な土台になっているAIと哲学01〜03を、順番に読むことをおすすめします。
- AIと哲学01:決定論と自由意志――因果の中で人間の意思をどう考えるか
- AIと哲学02:意識と機能主義――人工システムにも意識は成立しうるか
- AIと哲学03:価値と目的関数――その数字の重みは、誰が決めたのか
その後は、統計学、生物学、AI実装、仕事、研究など、それぞれのテーマへ広がっていきます。