この記事の立場
私は、権力は悪であり、可能な限り存在しない方がよいものだと考えている。
ただし、ここでいう権力とは、社会が共同で何かを実行する能力のすべてではない。ある人や組織が、他者の選択を恣意的に左右でき、その判断に理由を求められても拒み、異議申立てを退けられる状態をいう。
法を執行する能力や、税を集めて再分配する能力は、社会に残るかもしれない。しかし、その力を誰かが自分のものとして所有し続ける必要はない。
本稿で考えたいのは、AIを新しい統治者にすることではない。
AIによって、政治的な権力を誰にも所有させない社会を設計できるか。
代議員の消滅とは、政治家という人間を社会から排除することではない。市民の主権を数年間まとめて預かり、本人に代わって決定する地位を、制度上不要にできるかという問いである。
これは、現在の代議制を直ちに廃止すべきだという政策提案ではない。AIが市民参加の障壁をどこまで下げられるか。そのとき、平等と人間の尊厳は回復するのか。反対に、AI設計者、熱心な参加者、法の解釈者が新しい支配者にならないかを考える思考実験である。
より良い統治者ではなく、空いたままの王座を求める
私が最初に抱いた疑問は単純だった。
人間よりAIの方が、公平に政治を行えるのではないか。
人間には、感情、派閥、支持団体、選挙、保身、利害関係がある。AIは賄賂を受け取らず、親族を優遇せず、同じ条件に同じ規則を適用できるように見える。
しかし、政治家をAIへ置き換えても、統治する者と統治される者の非対称性は残る。
むしろ、モデル、学習データ、システムプロンプト、計算基盤を管理する者の権力は、市民から見えにくくなる。
だから、目標はより優れた支配者を作ることではない。
政治哲学者クロード・ルフォールは、民主主義を、権力の場所が誰かによって恒久的に占有されない体制として捉えた。王が社会全体を体現するのではなく、権力の場所は「空いた場所」であり続ける。統治する者は一時的で、社会そのものを自称できない。権力は法に拘束され、異議と交代に開かれる。(Lacerda, “Lefort: Democracy and Human Rights”)
この考え方は、私が言う「誰も権力を所有し続けられない社会」に近い。
また、フィリップ・ペティットの共和主義は、自由を単なる「干渉されない状態」ではなく、恣意的に干渉される支配の下にない状態として考える。税や法による制約が存在するだけで、直ちに支配になるわけではない。その干渉が市民の利益と考えを追跡するよう統制され、理由を問い、争い、変更できるなら、少なくとも恣意的な支配とは区別できる。(Philip Pettit, Republicanism)
ここから、私の立場を少し正確に言い直せる。
権力は悪である。
だから、社会の実行力をなくすのではなく、誰かがそれを恣意的に所有し続けることを不可能にしたい。
代議制は、主権の包括的な委任である
私たちは数年に一度、選挙で代表者を選ぶ。
その後、税、社会保障、教育、医療、防災、外交、研究、環境といった、多数の判断を代表者へ預ける。
自分が投票した候補者であっても、すべての政策に同意しているわけではない。農業政策には賛成でも、税制には反対かもしれない。社会保障政策には賛成でも、エネルギー政策には納得していないかもしれない。
それでも現在の制度では、異なる分野の判断を、一人の候補者や一つの政党へまとめて委任する。そして、その委任を次の選挙まで案件ごとに取り戻すことは難しい。
代議制は、市民が政治を行う制度であると同時に、市民が政治を他者へ包括的に預ける制度でもある。
日本国憲法は、国民主権を掲げつつ、国会を唯一の立法機関とし、両議院を選挙された議員によって構成している。国の財政、課税、国費の支出も国会の議決と法律に結びつけられている。したがって、代議制を全面的な全市民立法へ移すことは、行政手続のデジタル化ではなく、統治構造の再設計になる。(日本国憲法・衆議院)
しかも、その移行にはブートストラップ問題がある。
憲法96条によれば、憲法改正は各議院の総議員の三分の二以上の賛成で国会が発議し、その後、国民投票の過半数による承認を必要とする。つまり、代議制を根本的に変えるためには、現に権限を持つ代議員が、自分たちの地位を縮小する改正を発議しなければならない。(日本国憲法96条)
これは論理的な不可能ではない。
しかし、権力を持つ制度に、その権力を自ら手放す入口を開かせるという、構造的な難しさである。
日本には、すでに直接民主主義の断片がある
それでも、全市民参加は完全な白紙から始める必要はない。
現行憲法には、代表民主制を基本としながら、直接民主制の要素がすでに置かれている。
- 第79条の最高裁判所裁判官国民審査
- 第95条の地方自治特別法に対する住民投票
- 第96条の憲法改正国民投票
衆議院法制局の説明でも、この三つが、選挙権の行使以外に憲法が明文で認める直接民主制の仕組みとして整理されている。(衆議院憲法審査会・2012年4月5日)
だから、現実的な問いは、明日から国会を消せるかではない。
すでに存在する直接参加の断片を、地方、限定された政策領域、予算の一部、規則の見直しへ段階的に広げられるか。
である。
地域で決められる問題は地域で決める。
影響範囲の小さい問題から直接参加を試す。
決定には期限と検証日を設ける。
参加結果が行政の判断へどう反映されたかを追跡する。
このような小さな制度の積み重ねの方が、一度に国家全体を作り替えるよりも、失敗を観測し、戻すことができる。
AIが下げられるのは、参加コストだけである
代議制を必要としてきた理由の一部は、人間の情報処理能力の限界である。
法案は長く、専門用語が多い。政策の影響は、産業、地域、世代によって異なる。予算には無数の項目があり、一つの支出を増やせば、別の支出や税負担へ影響する。
AIは、この負担を下げられるかもしれない。
法案を平易な言葉で説明する。
賛成と反対の根拠を並べる。
政策が本人の税負担、医療、仕事、地域へ与える影響を試算する。
異なる言語へ翻訳する。
大量の意見から、合意点、対立点、少数意見を可視化する。
OECDが2026年6月30日に公表した報告書は、22の加盟国・パートナー国における50件の利用事例を分析し、市民参加を支えるAIを、情報整備、意味づけ、翻訳、文字起こし、仮想支援、モデレーション、ファシリテーション、シミュレーション、参加プロセスの設計という九つの用途に整理している。ただし、実例の多くは試行段階にあり、OECD自身も、技術だけでは参加を有意義で影響力のあるものにできないと述べている。(OECD, Artificial Intelligence and the Future of Citizen Participation)
ここで、前稿の前提を修正する必要がある。
AIが理解のコストを下げれば、全国民が政治へ参加するようになるとは限らない。
アンソニー・ダウンズ以来の合理的無知の議論が示すように、大規模な投票では、自分の一票が結果を変える確率は極めて小さい。情報を集める負担が便益を上回るなら、詳しく調べないことは、個人にとって合理的になりうる。(Downsの合理的投票モデルを扱う概説)
AIは情報収集の費用を下げる。
しかし、注意を向ける動機や、政治に使える時間を平等には配れない。
参加が任意である限り、実際に参加するのは、時間、関心、組織、専門知識を持つ人へ偏る可能性がある。
代議員を消した結果、選挙を経ていない「熱心な市民」が、新しい政治エリートになるかもしれない。
これは、端末を持てるかというデジタル格差より深い問題である。
注意、時間、動機の格差である。
決定に触れない参加は、参加とは呼べない
AIで何百万人の意見を集め、要約し、きれいなレポートにすることはできる。
しかし、そのレポートを意思決定者が無視できるなら、政治的な権力は市民へ移っていない。
OECDも、市民参加が実際の意思決定から切り離される問題を挙げている。AIは意見を「聞く」ことを速く、安く、包摂的にできるかもしれないが、聞かれたことが立法や予算を変える保証はない。(OECD報告書・Introduction)
そこで、私は次を制度の検証条件に置きたい。
決定に触れない参加は、参加とは呼べない。
市民の提案や意見には、少なくとも、
- 採用されたのか
- 修正されたのか
- 採用されなかったのか
- 誰が、どの理由で判断したのか
- 再検討される条件は何か
という追跡可能な回答が必要である。
参加の回数ではなく、決定との接続を測らなければならない。
全市民参加は、全員への投票強制ではない
すべての人が毎日、すべての法案へ投票する社会は、自己統治ではなく、新しい義務と苦役になりうる。
育児、介護、病気、長時間労働を抱える人は、参加できる議題数が少なくなる。
また、私はAIが購買履歴や過去の投票行動から、本人の意思を推測して自動投票することにも反対である。
AIによる代理投票を禁じるなら、本人が一件ずつ判断できる議題数には物理的な上限がある。
だから、全市民参加とは、全員がすべてに直接投票することではない。
すべての市民に、
- 直接参加する権利
- 理解するための支援
- 意見を提出する経路
- 一時的に判断を委任する権利
- 委任をいつでも撤回する権利
- 棄権する自由
が保障されている状態である。
リキッド・デモクラシーは、解答であると同時に警告でもある
直接参加の範囲問題に対する一つの案が、リキッド・デモクラシーである。
市民は案件ごとに、自分で投票することも、信頼する人へ票を委任することもできる。委任は分野別に行え、いつでも撤回できる。
例えば、農業政策は自分で判断し、医療政策は信頼する専門家へ委任する。地域交通は自分で参加し、外交については委任する。包括的な委任ではなく、案件別、分野別、期限付きの委任である。
しかし、委任可能な制度では、信頼が少数の人へ集中する。
ドイツ海賊党のLiquidFeedbackを分析した研究では、多数の委任を受ける「スーパー投票者」が生まれ、理論上の影響力が高くなることが確認された。ただし、その研究は、彼らが実際には常に結果を自分の好みに変えたとは示しておらず、多くの場合、多数派に沿う投票を行い、安定化作用も観測した。したがって、これはリキッド・デモクラシーの全面的失敗というより、権力集中を継続的に測定しなければならないという警告である。(Kling et al., “Voting Behaviour and Power in Online Democracy”)
必要になるのは、例えば次のような防護策である。
- 委任の集中度を常時公開する
- 多段階の委任連鎖を可視化する
- 委任へ有効期限を設ける
- 一人への委任集中に警告を出す
- 直接投票によって、いつでも委任票を上書きできる
- 無作為抽出の市民会議を併用する
- 同じ人物が調整、説明、執行、監査を兼ねない
権力は、消えたように見える場所へ移動する。
だから、直接民主主義もまた、権力分布を監査する必要がある。
市民が決め、AIが支援するもの
税をAIに管理させるという構想も、決定と執行を分けなければならない。
市民が決めるのは、
- 何に課税するか
- どの程度の累進性を持たせるか
- 医療、教育、住宅、防災、研究へどれだけ配分するか
- 将来世代へどの程度の負担を残すか
- どこまでを権利として無条件に保障するか
である。
AIが支援できるのは、
- 税制案ごとの負担分布の試算
- 予算案が地域、世代、所得層へ与える影響の比較
- 法定税額、控除、還付の計算
- 税収と支出の追跡
- 当初決定と実際の支出のずれの検出
- 不自然な契約や利益相反の監査支援
- 市民一人ひとりへの財政説明
である。
AIが税率や社会の目的を決めるのではない。
市民が決めた税制と予算を、再現可能な手続で実行し、その全過程を監査できるようにする。
しかし、ここで「市民が決めた規則を、AIが裁量なく実行する」と書くことはできない。
法の執行には、解釈が入るからである。
執行は、隠れた立法になりうる
一般的な法の言葉を、個別の事例へ当てはめるとき、曖昧さが残る。
「生活に必要な支出」とは、どこまでか。
新しい金融商品は、どの課税区分に入るのか。
同居しているが家計を共有していない二人を、同じ世帯として扱うのか。
法哲学者H・L・A・ハートに結びつけられる「法の開かれた構造」は、一般規則の中心的な適用例とは別に、境界的な事例で解釈が必要になることを示す。ただし、すべての法適用が必ず裁量的になるとまで一般化するのは強すぎる、という批判もある。重要なのは、少なくとも一部の事例では、執行と解釈を完全には分離できないことである。(Frederick Schauer, “On the Open Texture of Law”)
AIが曖昧さを毎回解消し、その判断が次の判断へ蓄積されるなら、AIは事実上、新しい規則を作る。
それが非公開なら、AIは立法権を持つ「見えない代議員」になる。
だから、税と給付の執行には、次の循環が必要になる。
- 明確な事例は、公開されたルールエンジンで処理する
- 曖昧な事例は、AIが曖昧さと争点を示す
- 不利益処分は、AIだけで確定しない
- 解釈判断と根拠を記録し、公開する
- 本人がデータと解釈へ異議を申し立てられるようにする
- 同じ争点が繰り返されたら、市民立法へ自動的に差し戻し、法文を明確化する
判例が立法へフィードバックされるように、AI執行で繰り返される曖昧さを、民主的な立法へ戻す。
執行の中で生まれた規則を、執行者の所有物にしない。
生存権を守る者も、権力者ではないか
ここで、この記事にとって最も厳しい問題が現れる。
私は、生存権や基本的人権を、通常の多数決で奪えるようにしてはならないと考えている。
しかし、多数の市民がその制約を破ろうとしたとき、誰が止めるのか。
裁判所が止めるなら、司法が市民の意思に優越する。
AIが止めるなら、AIの設計者が守護者になる。
憲法を変えられないようにすれば、過去の市民が現在の市民を支配する。
これは、番人問題である。
完全に権力のない解答は、おそらくない。
だから、権利を守る権限を一つの主体へ与えるのではなく、空間と時間へ分散させる必要がある。
空間的には、
- 市民による決定
- 独立した司法審査
- 無作為抽出された市民会議
- 複数機関による監査
- 本人による異議申立て
へ分ける。
時間的には、基本的人権を弱める変更へ、
- 通常法より高い賛成要件
- 複数回の熟議と議決
- 十分な冷却期間
- 異なる時点での国民投票
- 施行後の再審査
を要求する。
この仕組みは、権力を消すわけではない。
しかし、現に生きている一人の政治家、一つの多数派、一つの裁判所、一つのAIが、裁量で権利の境界を動かすことを難しくする。
憲法96条の高い改正要件は、現在の制度における時間的・手続的な自己拘束の一例である。ただし、長い時間と高いハードルだけで正義が保証されるわけではない。過去の不正義が固定されることもある。
したがって、権利保障は、変更を遅くする仕組みと、新しい権利要求を提起できる仕組みの両方を持たなければならない。
ルフォールの民主主義が、権力の場所を空けるだけでなく、社会の対立と新しい権利要求を開いたままにすることを重視するのは、このためだと私は理解している。
生存権は、目的関数ではなく制約条件である
日本国憲法は、第13条で個人の尊重を、第14条で法の下の平等を、第25条で健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を、第29条で財産権を定めている。(日本国憲法)
私は、生存権を、政策評価の一項にしてはならないと考える。
経済成長を大きくできるなら、一部の人の生活を少し削ってよい。
多数者の満足が増えるなら、少数者の住居や医療を失わせてよい。
そのような計算を認めれば、生存権は重みの小さい変数になりうる。
生存権は、最適化の前に満たされる制約条件である。
社会全体の利益を改善する。
ただし、誰一人として生活の床から落とさない。
ここでいう生活の床には、所得だけでなく、最低限の資産と生活基盤を含めたい。
数週間から数か月を生き延びられる流動性。
直ちに失わない住居。
食料、医療、水道、電気、通信。
本人確認と決済手段。
病気、失業、災害が起きても、一度の事故で人生全体が崩れないための余白。
平等とは、全員へ同じ金額を配ることだけではない。
異なる条件に置かれた人が、同じように生活の主体であり続けるための最低条件を保障することである。
給付は自動化しても、剥奪は自動化しない
AIは、誰かが生活の床から落ちようとしていることを早期に見つけられるかもしれない。
未申請の給付資格を発見する。
税の還付と社会保障を接続する。
失業、病気、災害の後に、本人が複雑な制度を調べ尽くす前に暫定支援を起動する。
しかし、ここには非対称な原則が必要である。
給付は自動化しても、剥奪は自動化しない。
これは抽象的な懸念ではない。
オランダの児童手当問題では、申請上の誤りが不正と扱われ、多くの親が誤って不正受給者とされ、給付の停止や多額の返還を求められた。2020年の議会調査は、法の支配の基本原則が侵害されたと結論づけ、翌2021年1月には内閣が総辞職した。ただし、原因を一つのAIだけへ還元するのは正確ではない。厳格な法制度、リスク選別、行政運用、立法、司法、警告を無視した組織全体の失敗だった。(オランダ下院・Ongekend onrecht)
オーストラリアのRobodebtでは、所得データの平均化などを使った自動的な債務認定と回収が進められ、後に違法な制度として王立委員会の調査対象となった。委員会は、自動意思決定について、明確な審査経路、利用していることと仕組みの平易な説明、業務ルールとアルゴリズムの公開、独立した監視と監査を勧告した。(Royal Commission into the Robodebt Scheme)
どちらも、今日的な生成AIだけが危険なのではないことを示す。
単純なデータ照合、スコアリング、ルール自動化でも、剥奪を高速化し、責任を拡散できる。
だから、AIだけで、
- 給付を停止しない
- 口座を凍結しない
- 資産を差し押さえない
- 返還請求を確定しない
- 将来の不正予測だけで現在の権利を奪わない
ことが必要である。
不利益処分には、理由の通知、利用データの確認と訂正、人間による再審査、独立した異議申立てを必要とする。
さらに、異議申立て中は、最低限の生活を直ちに失わせない。
AIは、支援を早く届ける方向には使える。
権利を先回りして奪う方向には使わない。
見えない代議員は、どこに生まれるか
代議員を制度上減らしても、代議機能は別の場所に現れる。
- 法案を要約するモデル
- 情報源を選ぶ検索システム
- 議題の順番を決める運営者
- 多くの委任を受けるスーパー投票者
- 毎日参加できる熱心な市民
- 法の曖昧さを解釈する行政AI
- 認証基盤や計算資源を所有する企業
これらは、選挙で選ばれていない。
それでも、市民が何を知り、何を選び、どの権利を受け取るかへ大きな影響を与える。
だから、AIを用いた直接民主主義には、少なくとも次の条件が必要になる。
第一に、単一モデルへ依存しない。
異なる設計の複数モデルが同じ法案を説明し、重要な差異を確認できるようにする。
第二に、要約前の原文と根拠資料へ必ず戻れるようにする。
第三に、使用したモデル、資料、設定、更新履歴、解釈判断を記録する。
第四に、市民の政治的意見を、広告、信用評価、雇用、捜査へ流用しない。
第五に、AIを使わない参加経路を残す。
第六に、委任、参加、発言、モデル利用の集中度を継続的に公開する。
第七に、市民がAIの説明へ異議を示し、訂正履歴を確認し、システムの停止と交換を要求できるようにする。
政治参加を仲介するAIが、市民の統制外にあるなら、それは自己統治ではない。
尊厳とは、善く統治されることではない
高性能なAIが、すべての人にとって最善の政策を計算できたと仮定する。
医療も交通も税も効率的に管理される。
人間の政治家より汚職が少なく、行政判断も一貫しているかもしれない。
しかし、市民が決定から排除されているなら、それは自己統治ではない。
私は、人間の尊厳は、賢い支配者によって善く統治されることだけでは回復しないと考える。
自分を拘束する規則の形成に、自分自身が参加できること。
そこに政治的な尊厳がある。
正しい答えを与えられることではない。
不完全であっても、自分で考え、他者と議論し、選択し、委任し、必要なら委任と意見を撤回できる主体として扱われることである。
法の下の平等だけでは足りない。
法を作る上での平等が必要である。
ただし、その平等は、全員が同じ回数投票することではない。
参加できること。
参加しない自由があること。
委任を取り戻せること。
理由を知ること。
誤りを訂正できること。
決定へ異議を申し立てられること。
そして、政治へ参加できなかったという理由だけで、生活の床から落とされないことである。
権力を所有できない社会は設計できるか
AIは、権力を消さない。
政治家から、モデル設計者へ。
代議員から、スーパー投票者へ。
立法者から、執行時の解釈者へ。
行政窓口から、データと認証基盤へ。
権力の置き場所を変える。
だから、AIを導入すれば自動的に公平になるという考えには立てない。
それでもAIは、権力の私有を難しくするために使えるかもしれない。
法案を理解する手段を全員へ提供する。
税と予算の流れを可視化する。
委任を案件ごとに撤回可能にする。
見落とされた権利を発見する。
執行時の解釈を記録し、市民立法へ戻す。
権力と参加の集中を監査する。
権利を守る制約を、複数の機関と時間へ分散する。
目指すべきなのは、政治の消滅ではない。
誰かが主権を恒久的に所有する地位の消滅である。
代議員の消滅とは、人を政治から追い出すことではない。
市民の意思を包括的に所有する王座を、空いたままにすることである。
AIに政治を任せるのではない。
AIによって、政治を誰にも所有させない。
そのとき、法の下の平等は、法を作る上での平等へ進む。
そして人間の尊厳は、統治される者から、社会の規則を作る共同作者へと再帰する。
参考資料
- 日本国憲法(衆議院)
- 衆議院憲法審査会「憲法改正問題についての国民投票制度等」
- OECD, Artificial Intelligence and the Future of Citizen Participation
- Tessa Moura Lacerda, “Lefort: Democracy and Human Rights”
- Philip Pettit, Republicanism: A Theory of Freedom and Government
- Christoph Carl Kling et al., “Voting Behaviour and Power in Online Democracy”
- Frederick Schauer, “On the Open Texture of Law”
- オランダ下院「Ongekend onrecht」調査報告
- Royal Commission into the Robodebt Scheme, Report