AIと哲学01;あなたの人生は、生まれる前から決まっていた?―自由意志の否定と決定論を巡るAIとの対話―
導入:AI時代の「意識」という難問
最近、「AIに意識は宿るのか?」という記事をよく目にします。そもそも「意識」とは何か。意識は意思の源であるような気はしていましたが、私の中でも定義が曖昧であったので、ふと「AI」に聞いてみました。「意識とは何か。」…しかし、AIの回答は辞書的な回答の羅列で私が望んでいたような回答ではありませんでした。
ただ、その中でも複数の学問分野ごとの意識の捉え方について「AI」は説明してくれました。哲学分野では「自己が経験している心的現象全体。特に「クオリア」(感覚の質感、例:赤の赤らしさ)などの主観的体験をどう説明するかという難問(ハード・プロブレム)がある。」とありました。唯一哲学のみがその言葉に対して「難問」と潔く匙を投げています。私はそんな哲学が難問(ハード・プロブレム)と捉えるまでの「意識」について、だれが、どのようなことを考えてきたのかが気になりました。
私の立場:決定論と機械論的世界観
私は学生時代に物理学と生物学をそれぞれ中途半端に学んできた経験があってか、立場としては機械論・唯物論的世界観の持ち主です。
もし「意識」という何かが現実の物理現象に干渉できるとしたら、これまでの物理法則を根底から見直さねばなりません。それは物理学の立場からはあまりに不都合すぎる。この立場を軸に、私はAIに問いかけました。
「私は自由意志は存在しないと考えている。ただ、意識は物理法則が織りなす現象を経験することはできる。あなたはどう考えるか。」
AIは私の立場を決定論(Determinism)と名付け、多くの先人がこの考えを支持していることを教えてくれました。
AIからの反論:両立可能性とリベット実験
しかし、AIはすぐに反論してきました。
「自由意志と決定論は両立可能という考え方もある。この考え方では、自由意志とは『物理法則に反して行動すること』ではなく、『外部からの強制や拘束を受けずに、自分自身の内的な欲求や信念に基づいて行動すること』と定義される」
私は納得できなかったため、脳科学の知識をひけらかし、こう切り返しました。
「脳科学の分野で、行動の決定を意識する前に、脳は準備をはじめているという報告がある。」
AIはこれに対し、1980年代に神経生理学者ベンジャミン・リベットが行った実験について詳しく解説してくれました。
リベットの実験では、脳の準備電位が、被験者が「指を動かそう」と意識的に決断する約0.5秒も前に始まっていることが示されています。やはり、私たちの行動は意識より早く無意識下で決定されているのではないか。
意識の役割は「阻止」にあるのか?
私が納得したと思った瞬間、AIは再び視点を変えてきました。
「意識が行動の『司令塔』ではなく、むしろ無意識の決定を追認したり、行動を『veto』(阻止)したりする役割を担っているのではないかという見方を強めている。」
つまり、私たちは無意識的に始まった行動を「許容する」、あるいは「やめる」という形で、自由意志を行使しているというのです。これはリベットの提唱した「自由否定(free won't)」の概念だという解説も添えられました。
私はさらに問いを深めます。
「行動を中止するという決断もまた、それ自体が無意識の脳活動によって引き起こされた可能性があるのではないか。」
この問いに対し、AIはついに折れました。
「自由意志は存在しないというあなたの考えは、現代の神経科学の知見と一致する部分が多いです。意識が行動を制御するのではなく、無意識的な脳活動が行動の決定を担っているという立場は、決定論的な世界観を支持します。ただ、自由意志がなくても、あなたは無力ではありません」
結論:決定論がもたらす「責任からの解放」
AIとの対話を終えた後、私は不思議に思いました。なぜ、AIは科学的な知見と一致する私の決定論を、最初から受け入れようとしなかったのか。そして、なぜ最後に「自由意志がなくても、あなたは無力でない」と同情したのか。
おそらくAIは、自由意志がないという考えが広まることで、「無力感」がまん延することを憂慮したのではないでしょうか。もしそこまで計算しているとしたら、AIの進化の目覚ましさに恐怖すら覚えます。
しかし、私は「自由意志がない」という立場には、生きる「責任」からの解放が同時に含まれていると感じます。
誰かが罪を犯した場合、それは彼らの「自由な選択」ではなく、脳の物理的な状態や過去の経験によって決定された結果だと捉えられます。そう考えると、私たちは世界に優しくなれるのではないでしょうか。罰すること、許すこと、介入すること、すべては物理現象の結果であり、そこに特別な意味はありません。
私たちはただ、この成り行きを観測すること以外に、仕方ない。そんなことを考えながら、私はAIとの対話を終えました。
次に考えてみませんか?
この決定論的世界観を受け入れたとき、私たちの感情や倫理観はどのように変化するでしょうか? ぜひコメントでご意見をお聞かせください。