AIと哲学05;究極の効率主義が排除する『戦略的な冗長性』―育種科学から問う、多様性と未来の生存戦略―
導入:人類史における「選抜」と効率追求の根源
あなたは「先生」や「上司」に「もっと効率的に」、「要領よく」と言われたことはないだろうか?そして、世間のいわゆる「できる人」とそうでない人は何が違うのだろうか。また、彼らの能力は「測定可能」なのだろうか。
私は農学研究員として、日々の業務で「選抜」の論理に直面します。それは、現在の基準で優良な形質を持つ作物を効率的に選び抜き、目標に合致しない個体を容赦なく排除する行為です。
この「効率追求」の根源はどこにあるのでしょうか。
かつて多くの人が「進化」とは、ラマルクの用不用説が示唆したように、「獲得した形質を次世代に伝え、より良いものへ向かって進歩していく(Progress)」プロセスだと誤解していました。あるいは、「強くて、有能で、美しきものへ向かって、一直線に進んでいく」と信じていました。
しかし、ダーウィンの自然選択(自然淘汰)の理論は、この目的論的で進歩的な見方を根本から否定しました。進化は、特定の理想的なゴールへ向かうものではなく、単に「その時、その環境で、たまたま最も適応的だった形質が残る」という盲目的で無目的な、進歩を保証しない結果の積み重ねに過ぎない。このことが、現在の生物学では常識になっています。
優生学の影 — 偉大な統計学者による「測定」と排除の論理
ナチスの暴走へと繋がった優生学は、進化の非目的性を認識しながらも、人間の目的論を持ち込んだ結果です。
ダーウィンのいとこであるフランシス・ゴルトンは、自然選択が進歩ではないことを理解しました。しかし、彼はこの盲目的で無目的な淘汰を放置すれば人類は「退化」すると懸念し、人間の知恵による人工淘汰(優生学)を通じて、人類を意図的に進歩させようとしました。
注目すべきは、ゴルトンが現代統計学の偉大なパイオニアでもあったという点です。彼は、相関や平均への回帰といった重要な手法に繋がる概念を発見し、人間の能力や形質を数値化し、測定可能にした張本人でした。育種科学の世界では重要視されている生物測定学(Biometrics)の創始者ともいわれています。後にこれらの概念は、息子のカール・ピアソンによって数学的に洗練され、統計学の基本的な手法となりました。
優生学の論理は、「測定できる形質」のみを根拠に人間の価値を決定し、数値化できない側面を無視し排除するという、極めて危険な出発点となってしまいました。
AI能力主義の盲点 — 「結果主義」が排除する多様性
現代社会がAIを用いて追求する「究極の効率」は、ゴルトンが求めた「測定可能で、効率的な選抜」の論理を極限まで進化させたものです。しかし、この「結果主義」こそが、多様性を排除する最大の要因となります。
1. 評価軸に乗りにくい「無駄な能力」の排除
AIが重視するのは、計測可能で汎用性の高い「標準的な能力」です。この画一的な評価軸から、数値化が困難な能力を持つ人々が排除されます。
- 職人(局所的専門性): 最高の「結果」を生み出しても、その能力の核心は、データ化が困難な「暗黙知」であることが多くあります。プロセスがブラックボックスであるほど、AIによる「効率的な代替プロセス」が開発された瞬間に、代替のリスクが高まります。また、その能力が特定の環境に極端に最適化されている場合、グローバルな評価軸に乗りにくいと考えられます。
2. 「欠陥」の保持こそが生存戦略か
結果主義の評価は、現在の市場規範に最適化された単一のゴールを目指すため、多様な適応の可能性を潰します。
東北大学の千葉聡先生は、進化の過程で生じた多くの「欠陥」や「非効率」が残り続ける現象を「ダーウィンの呪い」と表現しました。進化は、理想的な設計図を目指すのではなく、その場しのぎの修正を積み重ねるプロセスであり、私たちは非効率な部分を抱えながら生きています。
しかし、この一見非効率な「欠陥」や「無駄」の保持こそが、生物集団のロバストネス(頑健性)を確保していることがあります。
遺伝育種科学でいう強連鎖(Tight Linkage)、多面発現(Pleiotropy)の概念は、このリスクを具体化します。
- 強連鎖(Tight Linkage): 現時点では不要な能力をコードする遺伝子と、今は無駄に見えるが未来の環境で不可欠になる能力をコードする遺伝子が、染色体上で非常に近接しているために、選抜の際に切り離されずにセットで排除されてしまう現象。
- 多面発現(Pleiotropy): たった一つの遺伝子が、収量低下のような「不利な結果」だけでなく、病害抵抗性という「未来の生存に不可欠な、今は目立たない能力」など、複数の異なる形質に影響を及ぼしている現象。この場合、トレードオフの関係になりますが、効率追求のために増収を選択するためにその遺伝子を排除すると、将来的に必要な抵抗性も失われてしまいます。
一つの「有用な結果」だけを見て選抜してしまうと、不要と見做された遺伝子の、「将来有用な水面下の機能」、あるいはそれに強連鎖している「未来の生存に不可欠な、今は無駄に見える能力のセット」を、知らず知らずのうちに集団から排除しているかもしれないのです。
結論:究極の選抜への対抗
私たちが直面するのは、AIが導く「究極の効率」という誘惑と、種の生存という究極の課題です。その多様性の排除は、次に来る選抜圧への脆弱性を増長します。「究極の効率」が突きつける選抜の論理は、特定の環境下では最大のパフォーマンスを発揮させますが、予測不能な変化に対するロバストネス(頑健性)を破壊します。
そもそもこれまでのシリーズ「AIと哲学」でたびたび登場する決定論の視点に立てば、私たち人間もAIも、その行動も思考も、すべて物理法則に従う「自然の一部」に過ぎないと考えることができます。もしそうなら、能力主義的な選抜を行う「意図」さえも、大いなる自然淘汰の必然として受け入れるべきなのかもしれません。
人類が絶滅のリスクを回避し、予測不能な未来を生き残る唯一の方法は、多様性の醸成と程よい選抜による「最適バランス」を見出すことかもしれません。
能力主義の極端な選抜に抗い、経済効率だけでなく、レジリエンス(回復力)や社会的包摂性を新しい選抜基準とすること。この記事が、非効率な「無駄」を人類の生存のための「戦略的な冗長性」として守り抜く倫理的判断の重要性について、再考するきっかけになれば幸いです。